プルントってなんだ?
2018/08/30 18:09:46 店長日記
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ある夏の午後のこと。
娘(5歳)「ママ、プルントちょうだい。」
私「プルント?プルントってなんだっけ?」
娘「プルントちょうだいって。冷蔵庫から出してって。」
私(プルントってなんだ?初めて聞いた言葉なんだけど・・・)
「プリンのことかな?」
娘「は?なに言っとん?プリンじゃない、プルントよ。なんで分からんのん?ママ?」
私(プルントってそんなにこの世でメジャーなものなの?
似たような言葉だとプリンかプルトニウムしか思い浮かばないけどどうしよう(汗))
娘「ママ、プルントよ、プ・ル・ン・ト!」
私「う・・・うん、え~っと・・・。」
業を煮やした娘「さっきスーパーで買ったぷにぷにしたデザートよ!!」
それでピンときて冷蔵庫を開けた私。
そこには「ぷるんと蒟蒻ゼリー」と書かれたものが確かにあった。
なぜか蒟蒻ゼリーよりも「ぷるんと」の方が大きい字でしかも赤字で書かれていた。
なるほど、子供はこれを「ぷるんと」という食べ物だと認識しているんだ。
間違いではない。
先入観で「蒟蒻ゼリー」としか認識できていなかった母と娘のすれ違いの一場面であった。
商品モニター募集のお知らせ
2018/08/29 15:52:02 お知らせ
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当店では、現在商品モニターを募集しております。 (募集人数:10名程度)
募集要項は下記のとおりです。
※モニター内容
当店のオリジナル商品をお試しになった後、
その使用感や感想をアンケートやインタビューでヒアリングさせていただきます。
案件によっては、お写真と一緒にモニター様のご意見をカタログやブログに掲載させていただきます。
商品は下記3点よりご希望のものを1点無料で差し上げます。
・猫専用おむつカバー(オーダーメイド)
・オーガニックコットンのグルーミングタオル
・介護期用首輪
※モニター期間
2018年10月上旬~11月上旬(お届け日より30日間)
※応募方法
モニター参加希望の方は、
"モニター募集フォーム"よりご応募ください。
応募フォームのご住所にご希望の商品をお送りします。
※応募資格
商品使用後にアンケートにお答えいただける方。
回答内容やお写真を、カタログ、ブログへ掲載することを了承いただける方。
※応募締め切り日時
2018年9月30日(日曜日) 24:00まで
応募多数の場合には抽選とさせていただきます。
どうぞ奮ってご応募ください♪
雑誌 an・an 猫特集号に当店の広告が掲載されました♪
優しい気持ち
2018/08/28 20:16:54 店長日記
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こんにちは。
毎日暑い日が続く中、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
8月が終わりを告げようとしていることに改めて気づき、
時のたつ速さに驚いております。
豪雨災害からもうすぐ2ヶ月になります。
家の周りは徐々に土砂や土嚢袋などが片付きつつありますが、
崩れた山はまだそのままで、完全復興までの長い道のりを示しているようです。
かかりつけの呼吸器内科の先生がおっしゃるには、
最近、災害の土砂の砂ぼこりで喘息になる人が多いのだそうです。
直接被災していなくても、環境が変わって体調を崩す方も少なくないように感じます。
今回の災害の中で怒りや苛立ち、ギスギスした心に触れることも多々ありました。
こうゆうの全部ひっくるめて災害なんだろうなと身をもって実感しています。
でも、災害の中で手を差し伸べてくれたり、気遣う言葉をかけてくださった方々も多く、
その方たちの存在があったから、大変な状況の中でもやっていくことができるということも実感しています。
先日猫ちゃんの介護相談があり、相談者の方の猫ちゃんへの優しい気持ちに感動し、
感謝の気持ちでいっぱいになりました。
当店をご利用くださるお客様はみなさまキラキラした優しい気持ちをお持ちです。
優しい気持ち、優しい心が未来を良い方へ導いていくのだと信じています。
みなさま一人一人を大切にしていきたいです。
広島原爆の日
2018/08/06 19:05:18 店長日記
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今日は8月6日。広島原爆の日です。
私の母は広島市中区江波から呉にお嫁に来たリアルすずさん。
だけどすずさんとは年代が少し違います。
母は5歳の時に江波で被爆しました。
お友達と外でお人形遊びをしていたら、
突然辺りがものすごく光って、その少しあとに
ドーンとすごい音がしたそうです。
子供心に何かおかしいと感じ、急いで家に戻ったら
家の屋根が飛んで無くなっていて、
「あかあさん、おかあさん」と叫んだら、
家の中から「防空壕に行っときんさい!」という母親の声がしたそうです。
5歳の頃のことは他に何も覚えてないのに、
原爆の記憶だけは鮮明に残っていると言っていました。
写真は今年の3月に母と娘と行った平和記念公園の写真です。
このとき母が私の娘に、
「おばあちゃんも死んだらここに名前を書いてもらうんよ。
だから毎年お祈りに来てね。」と言っていたのを思い出します。
原爆の日に呉にいた父は、山の向こうの光を見たそうです。
父の戦争の話で一番思い出すのは呉湾に浮かんだ戦艦大和を見た話。
「対岸の江田島より大きな船じゃった。」と、この話をするときだけは
めずらしく興奮気味な父でした。
大きな大きな戦艦大和は10歳の少年の目にどんな風に映っていたんだろう。
子供の頃から母の教えで8月6日の8時15分には毎年黙とうをしてきました。
そして、被爆者である母や親族たちの平和を願う気持ちを伝える機会があるときには
被爆2世として、これからも伝えていきたいと思います。
そういえば、母も祖父母も親族たちも、原爆のことで恨み言など一つも一度も言っていなかった。
いつも、ただただ平和を願う気持ちだけが伝わってきました。
その気持ちを繋げていきたいです。